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ウインクホシヅル 星新一と手塚治虫 ジャンプホシヅル
マンガ界の巨人の目を通して、星新一を見てみよう。


星新一と手塚治虫 by にゅる兄さん

 子供の頃より、星さんとイメージの重なる人物がいた。マンガ家の故・手塚治虫(てづかおさむ)さんだ。ともに年代が近く、背が高かく、なにより日本のSF分野に大きな足跡を残したという、共通点があった。

 手塚さんは、昭和3年(1928年)11月3日、大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市)に生まれ、兵庫県川辺郡小浜村鍋野(現・宝塚市)で育った。そして、昭和21年(1946年)1月4日、18歳の時に新聞の4コママンガでプロ・デビュー、平成元年(1989年)2月9日、60歳で亡くなるまでに、約15万枚のマンガ原稿を残したという。その莫大な作品とともに、ペンネームの「虫」の字は、多くの人の心に刻(きざ)みこまれ、戒名にもまた“蟲”の字が入っている。

 そんなマンガの巨人・手塚治虫と、ショートショートの星新一との交流を、彼らの残した作品から掘り出し、そこから“星新一”を浮きぼりにしたいと思う。まず、星エッセイに出てくる、手塚治虫をピックアップする。トゲツル

☆★☆ きまぐれ星のメモ「世界ひとめぐり」(角川文庫) ☆★☆

『(略)…ロスは着々と世界一の大都会になりつつあるが、高層建築はほとんどなく、むやみとだだっ広い。手塚治虫氏に言わせると「人間を栽培する畑」である。…(略)』

『(略)…ニューヨークとなると世界博が話題である。飯沢匡、手塚治虫、三好徹、真鍋博の各氏と顔があい、お互いにその規模と費用の巨大さに感嘆した。…(略)』 ※ニューヨーク世界博 1964年(昭和39年)4月22日開催。

『(略)…手塚治虫氏とニューヨークを散歩しているとアメリカ人から「サボイ?」と声をかけられた。首をかしげていると、紙に画を書きはじめた。手塚氏はゴミ箱と判断し、私には日本家屋と見えた図である。しかし下部に丸が四つ書き加えられるにおよんで、やっと地下鉄(サブウェイ)の乗り場をたずねられたことがわかった。…(略)』

☆★☆ きまぐれ星のメモ「世界無味旅行」(角川文庫) ☆★☆

『(略)…ニューヨークでは旅行中の手塚治虫氏と会った。彼は「日本食がなつかしい、日本料理を食べに行こう」と言う。ホテル暮らしの彼は、そんな気分になるのだろう。私も同行し、五ドルの天丼(てんどん)を食べた。
 手塚氏とはもう一回、こんどはレストランに入ったが、不運にも私はその時、下痢をしていてスープとパンだけにとどめておかなくてはならなかった。…(略)』

☆★☆ きまぐれフレンドシップ PART2 「手塚治虫 ─独自な世界─」(集英社文庫) ☆★☆

(『手塚治虫全集』第12巻 小学館 昭和44年6月より)
『(略)…このごろ思うのだが、もし手塚さんが出現しなかったら、現在の日本の文化はずいぶんちがうものになっていただろうという点だ。手塚さんは時の流れを巧みに泳ぐ人ではなく、時の流れをみずから作りだした人なのである。』

(「鳥人大系」解説 大都社 昭和53年7月より)
『 あれは筒井康隆さんの結婚式の時だから、もう十年ほど前のことだ。それへの出席のため、SF作家たちが関西へ集まった。手塚さんも多忙な時間をさいてあらわれた。…(略)』

『(略)…手塚さんの存在を知ったのは、昭和三十年ごろ、SF作家になりかけたころである。類は友を呼ぶで集まったSF好きの連中が、なにかというと「手塚治虫」という名を口にする。そして、十年も前からSFの分野で活躍している偉大なる才能の主を知ったしだいである。…(略)』

『(略)…私は大正十五年(一九二六年)の生まれ。…(略)…手塚さんも私と同じ大正十五年の生まれと知った。…(略)』 ※手塚さんの実年齢(1928年生まれ)については、多くの人が葬儀場で知ったという。

『(略)…手塚さんはこの世界に入って、三十三年になる。私は約二十年。それより十年以上も長く仕事をし、高いレベルを維持している。いかに大変か、よくわかるのだ。…(略)』

ウインクホシヅル

 他にも、(きまぐれエトセトラ「体験的笑い論」・角川文庫より)『(略)…私の世代の連中は、どういうわけか、みな背が高い。同年の手塚治虫、少し上の遠藤周作、ひとつ下の北杜夫、みな高い。…(略)』や、(きまぐれフレンドシップ PART2 「北杜夫 ─独特のユーモア─」・集英社文庫より)『(略)…北さんはあれで、なかなか背が高いのである。これも意外だろうが、私はさらに高い。どういうわけか、手塚治虫さんにしろ、三浦朱門さんにしろ、その世代の連中は、みな背が高い。…(略)』や、(あれこれ好奇心「人と作物 ─歴史の一面」・角川文庫より)『(略)…手塚治虫製作のアニメ映画の大作「千夜一夜物語」のなかには、たえず水タバコを吸っている奇妙な生物が出ていたが、むしろ効果を上げていた。…(略)』など、手塚さんの名前がぽろぽろ出てくる。

 ここで個人的な話になるが、子供の頃、星さんの作品集と同じように、手塚さんのマンガも夢中になって集めたもんだ。少年少女モノはもちろん、『人間ども集まれ!』や『上を下へのジレッタ』などの大人漫画。そして、劇画調の『きりひと讃歌』『奇子(あやこ)』『I.L』『ばるぼら』『人間昆虫記』といった成人向けマンガを、中学生の時分に愛読していたのだから、ませていたと言えるかもしれない。

 そんなふたまた体験から、今回のリサーチを思いついた。手塚ファンにはおなじみだが、手塚さんはよく、遊び心で自身や知り合いをマンガの中に登場させる。以下、手塚マンガに出てくる、星新一をピックアップする。トゲツル

☆★☆ SFファンシーフリー(S.F.FancyFree) ☆★☆

 この作品は、1963年2月から1964年3月まで、「SFマガジン」に読み切り連載された。マンガあり、絵物語ありの、オムニバス形式。その中の1本「そこに指が」に、星さんっぽい青年が重要な役で登場する。黒髪で、若々しい。以下引用。

『 あるバーで 背の高い おっとりした青年がのんでいた なんでも もと薬屋だったのだが 今はSFとかいうものにこっているといううわさだった …(略)』

(講談社 手塚治虫漫画全集 MT80「あとがき」より)『(略)…当時、SFがまだ文学の範疇からはみだしていて、…(略)…SF作家クラブのメンバーは二十人もいなかった。…(略)…やがて、、小松氏をはじめ、SF作家に曙光があたってくると、みんなのたまり場は六本木にうつった。キャンティを飲みながらイタリア料理店へ通ったり、麻雀が突如として仲間に流行しだしたりした。…(略)』

☆★☆ W3(ワンダースリー) ☆★☆

 この作品は、1965年5月30日から1966年5月8日まで、「週刊少年サンデー」に連載された。主人公の少年の名前が「星真一」。銀河パトロール隊ワンダースリーのメンバーとして、ボッコ、プッコ、ノッコという3名の宇宙人が出てくる。ウサギに身をやつしているのが、ボッコ隊長。星さんの『ボッコちゃん』に因(ちな)んでいるかは不明。

(星新一著・きまぐれ星のメモ「ある日」・角川文庫より)『(略)…来ている郵便物をかかえて書斎に入る。コーヒーを飲みながら、それらを見る。
 時たまファンレターがまざっている。<ワンダー・スリーの主人公と似た名前で、ふざけたペンネームの作家がいるなあと思って本を買ったのですが、大変面白く読みました>
 ほめられているのだが、情けなくもなる。主人公の星真一という名は、手塚さんにたのまれて貸したのだ。こっちは生まれた時からの名前である。出来星の星とは星がちがう。…(略)』

☆★☆ 日付健忘線 ☆★☆

 この作品は、1967年2月、「漫画讀本」に掲載された。その枕(前置きの小ばなし)に、星さんと小松左京さんが出演している。この星さんはなにやら、アメリカの一コママンガにでも出てきそうな、洋風である。以下引用。

『作家の 小松左京氏が 海外旅行に いったとき 星新一氏が たのんだ そうだ
「例の《日付変更線》 てやつは 海の中にあるのか 空の上にあるのか 見てきてくれ…」
…てな わけで…
小松氏 血マナコになって さがしまわった…(略)』 ※文中の二重山かっこは、マンガ内では二重かぎかっこ。

☆★☆ 鳥人大系 ☆★☆

 この作品は、1971年3月から1975年2月まで、「SFマガジン」に連載された。人類は、突如として知恵をつけた鳥(鳥人)に、地球の支配者の座を取って代わられる。その第8章「スポークスマン」に、無名のSF作家(星さんにあらず)の、次のようなモノローグが出てくる。

『ある日突然──例の ホシ・シンイチとかいう同業者の よく書く手──「ドアにノックの音が して」契約者がまいこんできたのだ』 ※星さんの『ノックの音が』は、1965年7/11〜10/10初出。

(おまけ)第3章「パイロマニアック・マグピー」では、TVのコメンテーター役で、真鍋博さんが出演している。その似顔が、真鍋さんの画風で描かれてあるところが面白い。司会者に話をふられ、縦に長く大口をあけたまま「そうねえ」「ですな…」などという口調で解説している。

☆★☆ ブラック・ジャック ☆★☆

 この作品は、1973年11月19日から1978年9月18日まで229話、「週刊少年チャンピオン」に連載された。(注。179話と180話が一つの話に合併されたので、サブタイトルは228話)。その後、不定期に1983年10月14日まで13話・追加連載。1976年3月10日の増刊号「U-18は知っていた」を加え、全243話。謎の天才外科医とその助手ピノコが、医療を通して数々の人間ドラマをおりなす。

 その第47話「光る目」に、SFにハマった人物の「おれ 星新一が 好きだ」というセリフが出てくる。

(おまけ)第167話「春一番」に、小松左京さんが出演。“箕面(みのお)医大人体物理学教(室?)”の先生の役。いちおう、名前が小松佐京に変えられているが、外見はそのまま。ブラックジャックの仮説に「きみ 意外と SF的やなあ」と大笑いし、ブラックジャックは「まじめな 話です」とクールに切り返している。

☆★☆ 三つ目がとおる ☆★☆

 この作品は、1974年7月7日から1978年3月19日まで、「週刊少年マガジン」に連載された。ひたいに第三の目を持つ謎の少年、写楽保介(しゃらくほうすけ)が、人類をはるかにしのぐ高い知能で超古代文明の利器をよみがえらせ、三つ目族再興と世界征服をたくらむ。一方で、クラスメートの和登(わと)さんを、母親がわりに慕(した)うという、末裔(まつえい)としての孤独な一面もある。

 そのエピソードの一つ、絶滅した巨鳥モアの生き残りをめぐる物語「モア編」に、星鶴が出演している。コマの片隅で「FANTASIA」というセリフを言い、コピーライトマーク“(C)HOSHI”がそえられている。

☆★☆ ドン・ドラキュラ ☆★☆

 この作品は、1979年5月28日から1979年12月10日まで、「週刊少年チャンピオン」に連載された。吸血鬼の父娘、ドラキュラ伯爵とチョコラが現代に復活し、トランシルヴァニアから東京都練馬区に引っ越してきて、毎夜ドタバタ騒動を巻き起こすコメディ。

 その第3話「やっぱりドラキュラ」で、娘チョコラを怨念のエネルギーから助けるため、わざと朝日をあびて灰になってしまったドラキュラ伯爵を、チョコラがSF的手法でよみがえらせる。「おとうさんも ちょっとは SFでも 読んだら?」とすすめられ、伯爵が手にしたのが「星新一集」。表紙に☆マークがついている。他に「半村良」と書かれた本も。

[ 番外 ]
☆★☆ マンガの描き方(光文社) ☆★☆

 これは1977年5月30日に出版された、初心者向けのマンガの手ほどき書。「手塚治虫漫画全集(MT399)別巻17」にも収録されている。

 その第二章「案(アイデア)をつくる」の問題文の一つにこうある。

『無人島漫画は、ナンセンス漫画の基本だといわれています。…(略)…
その設定からは、どんなアイデアのひろげ方もできます。…(略)…
星新一氏は、無人島漫画をいっぱい集めています。すばらしいショート ショートのヒントになるからでしょう。…(略)』

 また、第三章「漫画をつくる」では、

『…(略) 長編漫画を描く人たちには、はじめは八ページぐらいでまとめる物語を描いてもらいたい。…(略)…
 星新一か、レイ・ブラッドベリ、O・ヘンリーか芥川龍之介のように、たとえ短い物語でも、中身の濃い、ピチッとまとまったものを、まず、四ページか八ページでやってごらんなさい。』

 とある。

(星新一著・きまぐれ博物誌・続「アメリカ一駒漫画」・角川文庫より)『(略)… アメリカの一駒(ひとこま)漫画を集めている…(略)…
 私がアメリカ一駒漫画の収集をはじめたのは、孤島漫画がもとである。ヤシの木のはえた小島に漂着した人物を描いたもの。無人島漫画とも呼ばれるが、人物が漂着したあとは無人島では変で、私はその言葉を使わない。…(略)…
いま孤島漫画の私の所有は、ほぼ三千種である。…(略)』

[ 番外 ]
☆★☆ 手塚治虫大全 1(マガジンハウス) ☆★☆

 これは、エッセイなどを集めたバラエティ本。その中の、『小説現代』1963年11月号に掲載された「阿呆失格」の一部を引用。

『(略)… 今日はトコン大会というのに行く。トコンとはTOKONで、「東京コンベンション」の略。つまりSF、サイエンス・フィクションのマニアどもの集まりだ。
 酒も飲むが、食いぐせの悪いのがこの仲間で、小松左京、星新一、筒井康隆など、酒をサカナに飯を食うのである。そして食うほどに、ひどく口が悪くなる。
 …(略)…
 六本木のバー、キャンティへぞろぞろと出かける。星ダンナの注文でピンク・ワインを飲んで、バジリコのスパゲッティを食うのが常である。彼も口の悪さでは人後におちない。
「手塚くん、こないだからソ連へ行く旅行団にしきりとさそってたが、ありゃ、二十人揃うと手塚くんの分がダタになるからだろう」
「バカ言え。そんならもう行かなくていいよ」
「おれは手塚くんがさそったから行くつもりでS誌の原稿を断った。損害賠償してくれ」
「ああ、おれも断った。おれにも損害賠償しろ」と小松のダンナ。
「しかし、ナンだ。手塚さんは何言ってもおこらないね。えらいね」
 こっちは一生懸命酒のサカナになっているのである。その気持ちを察して貰いたい。』

[ 番外 ]
☆★☆ 手塚治虫物語 (伴俊男+手塚プロダクション・著 朝日文庫) ☆★☆

 この作品は、手塚さんの没後に描かれた、手塚治虫の生涯をつづった伝記マンガ。その第3部に、昭和37年(1962年)5月27日に目黒区公会堂清水別館で開催された「第(←略字)1回日本SF大会」のもようが描かれている。この大会は、SF同人誌「宇宙塵」五周年記念として始まったもの。星さんは余興として、新作を朗読したという。何を朗読したかは不明。

 冒頭の「(生涯で)約15万枚のマンガ原稿を残した」という情報は、この本より。

 以上、まだまだあるかもしれないが、手持ちの情報はこのくらいである。マンガの巨人・手塚治虫の目を通して見た“星新一”は、いかがだったろうか。

 終わりに、このリサーチで手塚マンガに関心を持った方に、個人的オススメ作品を紹介して、しめくくりとしたい。

 じつは知る人ぞ知る、手塚さんの短編マンガには面白いものが多く、星さんファンには、短いページでオチのきいた“ショートショート・マンガ”がいいと思う。※かっこ内のMTナンバーは、「講談社 手塚治虫漫画全集」のシリアルナンバー。

 未成年なら、ぜひ、『ザ・クレーター』(MT218 MT219 MT220)を読んでもらいたい。不思議で、不気味で、奇妙きてれつ…。その読後感が心の奥深くにまで染みとおり、きっと忘れられなくなること受け合い。

 成年なら、『空気の底』(MT264)。そして、『すっぽん物語』(MT67)、『フースケ』(MT83)、『ショート・アラベスク』(MT239)、『雑巾と宝石』(MT258)などに収められた大人漫画を読んで欲しい。(※未成年の人は、法律や条例に注意してください)

 なお、『ザ・クレーター』『空気の底』は、秋田書店から文庫版も出ている。ウインクホシヅル<おしまい♪)

 

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